音と手仕事 ときどきゲーム        

ある程度年取ってからアコギを始めた理由

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頭の中を整理するついでに。

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音楽がとにかく好きで、小さい時から音楽に囲まれて過ごしていた。

やっていた楽器はピアノだったけど、好きな音楽は次々変わり でも常に音楽は聞いていた。

でもピアノは弾けはするものの、楽譜どおりにクラシックを弾くことができるのみ。

普段練習して発表会で弾くといったことぐらいでしか音楽で人と関わっていなかった。

 

・・・・これってすごい寂しいし勿体ない。

 

弾くことで癒されたり激しい感情を昇華したりすることは、他の趣味であるモノづくりとかとある意味同種のもので、それを作ったりしている間は、満たされてはいるもののとても孤独な作業だったりする。

 

そして何よりこんなに音楽が好きなのに、音楽が好きな人と関わるときに表現者としての自分の立ち位置が、ボーカリストとしてしか絡めないのがなんかちょっと違うなあというもどかしさがあった。

ボーカリストだって音楽を一緒に楽しんでいるとは言えるんだけど、ほかの楽器と違って一緒に演奏しているといった感じが薄いように思える。

主旋律になることが多い歌は、どうも音の集まりの中に後から入れてもらうという感覚を覚えてしまうのだ。 

上手く言えないけど、歌には、別にその場で音あわせながら探らなくても一人で練習していて完成だけ合わせればいいじゃんって言った感じの疎外感がある。

私が他の人から一秒でも長く聞いていたいと思われるほどに物凄い歌が上手かったら話は別なのであろうけど、現実はそうではない。

 

歌ってない時にもなにかしらで参加できるものがないとその場にいる価値を感じられないというのも情けない話だけど、歌ってない時も音を作っていたい 誰かが歌ってる時に合わせて音を作りたいと思うのは音楽好きとして不思議な話ではないだろう。

 

http://www.flickr.com/photos/9289336@N05/2041529420

photo by thatmushroom

アコギなら一人でもできるしどこかにふらっと混じることもできる、

伴奏とかセッションでピアノを弾ければという思いもあるし、きっとそっちのほうが下地もあるから上達は早いのだと思うけど、ギターの持ち運び面での手軽さとコスパのよさには敵わない。

 

そして弾き語りとしての音の好みがピアノより断然ギター寄りなのだ。

  

  1. ボイパでいいじゃん
    →曲による
  2. ソロギも主旋律じゃ?
    →ソロギまで上手くなれる気がしないし
    ソロギそもそもそんなに好きじゃない
  3. ピアノのコードアレンジを覚えれば?
    →覚えたい。でも不器用なので伴奏しながら歌えないのでまたきっと寂しくなると思うから、歌いながら辛うじて弾けるギターを先に練習したい

他にも色々あるけれどコードという概念をすごく意識したのがギターを弾くようになってからなのだ。

これはとてもでかい。

このメロディにはこんな感じの伴奏かなと頭じゃなくて反射でつけることはできるけど そのコードなに?って言われたらハテ・・・?となってしまうのが中途半端クラシックピアノ弾きだった私だ。

 

辛うじてベース音はわかってもその和音が短調か長調かぐらいしかわからない。

 

色々勉強不足な私には、構成音を押さえておけば色んな弾き方ができるというのがとても魅力的に思えるのだ。

 

 

そんな感じ(←書くの疲れたらしい)