舞台みて友人間で感想をいいあったりするだけで、見っぱなしなことが多いので、たまには感想を書いてみようかと。東京公演ももう終わっちゃうので宣伝になるといいなという思いも込めて。
折角ブログやってるんだしね。
結論から言うと見に行って良かったです。当日券も出るようなので観にいくのをおすすめします。
オフィシャルよりあらすじ
作:ジャン・ラシーヌ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
イントロダクション
本作は、フランスの劇作家ジャン・ラシーヌが古代ギリシャの三大詩人エウリピデスのギリシャ悲劇『ヒッポリュトス』から題材を得て創りあげた、17世紀フランス古典文学を代表する金字塔的な作品です。悲劇へと向かう女性の姿を描く美しく輝く台詞、神話的世界をもとに表現した抵抗しがたい破滅的激情は、「人間精神を扱った最高傑作」と言われ、サラ・ベルナール、ヘレン・ミレンなど、時代を彩る名女優たちが演じてきた歴史的名作です。
この歴史的名作に、大竹しのぶ、平 岳大、門脇 麦、谷田 歩、斉藤まりえ、藤井咲有里、キムラ緑子、今井清隆の出演が決定し、若手から実力派俳優まで演劇界を担う錚々たる面々が揃いました。 2017年4月、豪華キャストの競演が実現致します!
ストーリー
舞台は、ギリシャ・ペロポンネソス半島の町トレゼーヌ。行方不明となったアテネ王テゼ(今井清隆)を探すため息子イッポリット(平 岳大)は国を出ようとしていた。
一方、テゼの妻フェードル(大竹しのぶ)は病に陥っていた。心配した乳母のエノーヌ(キムラ緑子)が原因をききだすと、夫の面影を残しつつ、夫には失われた若さと高潔さに輝く継子イッポリットへの想いに身を焦がしていると白状する。
苦しみの末、フェードルは義理の息子に自分の恋心を打ち明ける。しかし、イッポリットの心にあるのはテゼに反逆したアテネ王族の娘アリシー(門脇 麦)。イッポリットはフェードルの気持ちを拒絶する。そんな中、テゼが突然帰還して・・・
感想(ネタバレなし)
シアターコクーンでやったこの舞台。私はキムラ緑子さんの大ファンなので、超楽しみにしておりました。
ギリシア悲劇って長台詞、難しいセリフ回し、よくわからない神話といったイメージで、うっわ 敷居高いって思うかもしれませんが、基本はドロッドロの神様の名を借りた人間関係の群像劇。
・・・・・・・昼ドラとかと変わりません(暴言)
散々激しく引っ掻き回し、あれはなんだったんだ?と言う読者置き去りの終わり方のする物語も沢山あります。
ただ愛とか憎しみとかを表現する言語がとても美しいのです。まあこれは一応現代劇なんだろうけど、その美しい言語と精神のせいかとても品があります。
いっやあ 良かった!!
特にお目当ての緑子さん本当に最高!。乳母役だったのだけど、セリフ回しも立ち姿も、後ろに控えているときのリアクションとかも滅茶苦茶素晴らしい役者さんだと思いました。
役も美味しい。
大竹しのぶさんも存在感と演技といった意味ではとても良かったのですが、栗山民也さんと組んでの舞台ということで激しさの表現や発声がピアフを引きずってしまったのかな?というようにちょっと思いました。
フェードルことアテナイ王妃パイドラー(ヒッポリュトスの中の名前)にはもっとピュアな表現も欲しいなと、ずっとドスがきいてたのですもの、、、。
本来もっと可愛らしい表現が出来る方なのでね。
それ以外は大変素晴らしく目が離せない芝居ぶりでした。やっぱり凄いわ大竹さん。
wikipediaよりヒッポリュトス (エウリピデス)ネタバレになっちゃうかも
愛と美の女神アプロディーテーは、ヒッポリュトスが処女神アルテミスを特別に敬い、自分を蔑視していることに怒り、彼への罰を下すことを企てる。女神の権能により、義理の息子であるヒッポリュトスに恋をしたアテナイ王妃パイドラーは、その恋を隠匿しようと試みるが、乳母がヒッポリュトスにそれを伝えてしまう。
元来、女との接触を嫌ってきたヒッポリュトスは、義母からの恋慕に耐え切れず痛烈な女性批判を繰り広げる。ヒッポリュトスの心無い言葉を聞いてしまったパイドラーは、留守中のテーセウスが帰って来た際、彼が夫に告げ口するだろうと考え、嘘の書置きを残して自殺する。
帰国したテーセウスは妻の死を知り嘆くが、彼女の「ヒッポリュトスに乱暴されそうになった為、貞操を守る為に死ぬ」という書置きを発見して息子への怒りに駆られる。正当な裁きもないままヒッポリュトスは国外追放を言い渡され、更にテーセウスは父神ポセイドーンから賜った「三つの願いを何でも叶える」と言う約束を一つ使って息子の死を願う。その願いが聞き届けられ、ヒッポリュトスは自らの馬に引き摺られて瀕死の状態に陥る。
息子の瀕死の報せを聞いたテーセウスの前に女神アルテミスが現れ、事の真相と、それがアプロディーテーの計略であったことを告げる。そこに瀕死のヒッポリュトスが運び込まれ、最期に父子の対話と和解を果たし、彼は息絶える。
原作を踏まえた感想(ネタバレ)
これは脚本に関してのことになりますが、原作みると乳母と息子もフェードルも父も悪いところあるでしょ??
今回のフェードルでは 乳母はフェードルに献身的に尽くしているのに乳母のせいにされて捨てられて自殺した可哀そうな人といった役回りですが、原作では良いと思って提言したかしないかはわかりませんが、隠してるのにフェードルの気持ちを勝手に息子に伝えてしまいます。
そして息子は、勝手に惚れられて責められて殺されていますが原作では乳母にフェードるの気持ちを伝えられ、「うっわ、お義母さんが俺を男として見ているなんて ないわー きもいわー。女はこれだから駄目だわー」と散々女性批判を繰り返して、それがショックでフェードルは自殺してしまいます。
フェードルはフェードルでそのままやつれて静かに死んでいれば悲劇の人として終わりますが 死ぬときに遺言で「ヒッポリュトスに乱暴されそうになった為、貞操を守る為に死ぬ」なんてはた迷惑にも書いて死んでしまう。
父の役回りは両方とも一緒です。誤解して早とちりして全部パー。終わりw本来なら一番可哀そうな役回りですね。 飛んだピエロだなとライバルに吐き捨てられる存在です。権力者なのに。
アリシーについては原作では関わってないので、息子が女嫌いで清らかだけど本当は愛を知っているキャラクターとして描くために登場します。あと今作でのフェードルの絶望の深さを深めるためのキャラ。
「女嫌いだけど私が愛を教えてあげるわ!」と息まいた結果が自分じゃない他の女をみていたって知ったときの絶望ってないですよね。
ギリシア悲劇は皆良いところがあって皆悪い所がある。というのをベースに書かれていることが多いので、絶対的善良な人間を登場させないと成立しない現代劇というのはどうにかならなかったもんかなあとちょっと思います。
勧善懲悪じゃないと気持ちよくないですか?まあ途中でフェードルが死んでしまったら、舞台の尺的にも持たないだろうから、最後まで生かせるためにこういう脚本になったのだと思います。
でももしフェードルの気持ちを主体とするなら、フェードルがどうして息子を好きになったのかとか、人に知られてはいけない思いを胸に抱いた良い母親であり良い妻であったフェードルがどのように少しずつ狂っていくかといったことをもっと長く独白じゃなくて会話劇で増やしていってほしかったなあと思います。
会話じゃなく独白多すぎるから、お前ら皆話聞かないからそういう事になるんだよ!!!
って突っ込みをして終わりになってしまうのだと思います。
どうしようもなくてなされるから悲劇なんだと。ね。
最後に
久しぶりに人におすすめできる舞台をみました。笑いたいとか心温まりたいという人にはお勧めしませんが、心揺さぶられたい!という方には非常におすすめします。
ストレートプレイもたまにはいいものですよ。